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無記名ドットコム

問われて名乗るもおこがましい

『イナンナの冥界下り』

11/13、不思議な公演に行ってきた。
『イナンナの冥界下り』(↓フライヤー写真)
f:id:ash105:20151116205121j:image

大掛かりな計画なので詳しくは上記参照。
配布されたパンフレット、細かい説明の他に、裏にスペシャルサンクスがシュメール語(と平仮名)で記されていて、天照大御神が天岩戸に籠った時みたいなフライヤーと共に素敵なデザイン。

ところでこの公演、どうもいつも古典を見ている観客の感想は求められていない感じがするので、ここに当日呟いたこととその他諸々感想をひっそりとメモ。

とその前に。


いい意味で新作"能"でもなんでも無いわけだから、確かに普段古典を見慣れている人への理解を得る必要が無いこともその気が無さそうなのもわかるけど、初めからその姿勢を前面に押し出されると一観客としては寂しいものがあるなぁ、と。
そしてそういうところを嗅ぎつけるから、省かれた観客は尚更口うるさくなっちゃうのではないかと思う。少なくとも私の場合は。

だって、そんなしつこいほど予防線張らなくたって、古典をいつも観ている人にも観ていない人にも、面白いものは面白いと伝わるし、わからないものでもすごければ「よくわからないけどすごい!」ってなるじゃない…
と既に口うるさくなってしまう頭でっかちには、見てもらわなくていいよ^ ^と言われているようでなんとも複雑な気持ち。

観る前からなんとなくそう思っていたけど、観た後の流れも見て、私が引っかかっていた一番の要因はそこだなと感じた。
そんなつもりは無いはずなのに、親切が行き過ぎて、見方によってはせっかくの自分たちの芸を軽んじているようにも見えてしまう。観客に向けての演目では無いからと言えばそれまでだけど。

ちょうど出演者の安田登さんがこんなことを。

行き過ぎた親切は観客にとってマイナスにもなりうるということ。

そうやって、舞台側から発せられる情報が少し強くて、それに馴染めないままあの舞台空間と向き合うことになった。


そういうところに違和感を覚えた人間の感想です。


始まる前はシュメール語?????という感じだったけど、話は面白かった。助けを求めに行っても、あの女神が勝手に行ったんだろ、と冷たくされたりして、意外と神様ってゲンキン。日本の神話だってめちゃくちゃだもんなぁ。


そして神楽っぽさ。イナンナ復活までとかまさに。

内容が内容だし、ろうそく能で雰囲気は出てたけど、空気の循環するところで、ダンサーさんは裸足になって、そういう場で観たらまた全然違うだろうな。

…と思ったら既にそういう計画もあるらしい。さすが。

でも間の休憩必要だったのかな…コロスが保たなかったのかな…能楽堂じゃない環境だったら休憩入らなくてもいけそうだしな…(しつこい)


音楽の融合は楽しい。普段好きな三味線の音なのに、ああいう場だと生々しさが際立つ。同じ弦楽器でもライアーの溶け込み具合と異なって結構浮く。私は脇正面で聴いていたので場所によっても響きは違いそう。


理屈で説明できないことが沢山あるのが昔のお話の面白いところで、「そこはそういうものなんです!理屈じゃないんです!」と何度も説明があった。その親切さと、別にその説明も省いて本当にふわふわな状態でも観てみたかったなというのと、半々。これも、私が感じた舞台以前の情報の強さというところに繋がるのかもしれない。


流動的なものを舞台に掛けるということは、それだけ大きく広がる可能性を秘めると同時に、中途半端になるリスクとも隣合わせ。

大英博物館での上演(たぶんこぎつける)までにどういう形を辿っていくか気になる。