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無記名ドットコム

問われて名乗るもおこがましい

勘三郎さんのこと。


3年前の12月5日、勘三郎さんが亡くなった。

というのを、今でもあまり信じられない。
あの時も信じたくなくて、下旬にあった本葬の日もバイトを入れて、浅草にも築地本願寺にも行かなかった。私にはお別れなんてできなかった。
今でも勘三郎さんのことを話していると、あまり詳しく思い出したくない気もして、それってまだ受け入れられてないんだろうなと思う。

1999年、小4の時、納涼歌舞伎で『義経千本桜』の四の切を観て、そこで勘九郎さん(当時はまだかんくろさんだった)にハマっていなかったら、私は歌舞伎を好きになっていなかった。
それくらい、勘九郎さんとの出会いは、私の人生でとても大きいものだった。

(初恋も勘九郎さんだったし、ずっとチラシの顔写真にちゅーしてたし、翌年の大河ドラマ元禄繚乱』は毎週かじりついて見てたし、当時高校生だった勘太郎七之助兄弟にどうにか近づいて結婚したらお父さんと仲良くできる!と邪でおバカな考えに突っ走る小学生だったよーーーごめんなさい!前田愛ちゃんはいい奥さんだよ!)

母が後援会に私を入れてくれて、何度か新年会出たし、歌舞伎座の出待ちも3回位したことあるし、サインもいただいたし。
でも、当時はまだ、他の演劇の舞台を楽しく観るのと同じような感覚で観ていることが多かった。
その中で一番好きなのが中村屋、というのは不動だったけど。

だから、昼夜のどっちかしか観てないことも多く、もちろん遠征なんてしなかったし(大阪中村座は母が連れて行ってくれた)、今思うと見逃した舞台が沢山ある。
未だに中村座の『め組の喧嘩』を観なかったことを写真を見かけるたびに悔やむ。


だって、新しい歌舞伎座に立つと信じて疑わなかったから。
また入院しても、何度でも「待っていたとはありがてぇ」って言って戻ってきてくれると思ってたから。
母は團十郎さんのファンだったので、中村屋成田屋と立て続けに逝ってしまって、我が家はしばらくお葬式状態だった。
こういう時こそ、息子たちを、一門を応援するんだ!と奮起するご贔屓の皆さんを尻目に、なんとなく観る気になれなかった。
「新しい歌舞伎座團十郎さん助六また絶対やるよね!そしたら2人で桟敷席で見たいね!」
と、歌舞伎座さよなら公演の助六を見ながら母ときゃっきゃしていたのもむなしく、二人ともたったか向こうに行ってしまって。

元々家族に連れられて観に行っていた能や文楽も、歌舞伎を好きになってからはますます興味が湧いたし、中学でKinKiにはまり中居くんにハマってからはますます忙しくなった。
ただ、当時はまだネットにあまり精通しておらずmixiも学校の友達のみ、私の世代は嵐KAT-TUNNEWS東方神起などのファンが多くて身近にファン仲間がほぼいなかったのは、伝統芸能好きでもジャニーズ(のおじさんたち)好きでも案外状況は同じで。
その頃同じジャンルでわいわい騒げる友達が近くにいたらまた変わっていたのかもしれないけれど、当時はとにかくひっそりと好きなものを摂取していた。

今はSNSで同世代の歌舞伎好きとも盛り上がれる。大学の時は歌舞伎好きの学生で好き勝手言い合っていたし、今も皆好き勝手言う。
時代は、ファン活動にとても優しくなってきた。
ファン同士で盛り上がれるのも、何かにハマることの楽しさの一つだと思うから。
伝統芸能もジャニーズもうるさくなって、昔の知り合い達からは「どうしたの急に」と驚かれる。
毎日お騒がせしてます…


彼が亡くなった後、そうやって繋がる人が増えて、皮肉なことにそこから私の熱量も変わった気がする。
「今見ておかないと」と必死になった。
この人のこの役も、この顔合わせも、次いつあるかわからない。
「これは見ておいたほうがいい」と思うものにはどんどん足を向けるようになった。

それを、勘三郎さんの生きている間にもっとやっておけばよかったなぁと思う。
たらればはキリが無い。

去年の十二月、歌舞伎座勘三郎追善興行で『菅原伝授手習鑑』の寺子屋がかかった。
仁左衛門玉三郎の松王夫婦、対するのが勘九郎七之助の源蔵夫婦。
仁左衛門さんが、松嶋屋ではなく中村屋の装束で出てきたところでもうグッと来たけれど、観ながらふと
あぁ…この顔合わせなのに勘三郎さんいないんだ…
と思ったらうるうるしてしまい、堪えていた涙が溢れて、幕がしまってからしばらくそのまま席で号泣した。

あそこにいないなんて。
だって、今までならそこにいた人が。

その後の鰯売で、揚幕の中からの勘九郎さんの第一声がお父さんの声にしか聞こえなくて、揚幕の方を振り返って出を待っていた母が思わず振り返って私と目を見合わせ、その瞬間二人とも涙目になった。
あれは勘三郎さんだった。


息子さんたちも、一門の皆さんも、あの時からさらに前に進んでいる。
もちろん彼らの芸も好きだし応援しているし、これからも観ていきたいとは思う。

でも、勘三郎さんに向けていたほどの気持ちまではまだ持てなくて。
それはまだ私が受け入れられていないからか、これからもそうなのかはわからないけど。

大竹しのぶさんやさんまさん、鶴瓶さんを見ている時にもふと、「なんで仲良しのこの方たちがまだまだ元気に活躍しているのに、勘三郎さんがいないんだろう」と思うことがある。
あの辺の人たちと仲良く賑やかに騒ぎながらまだまだ年取って欲しかった。


なんで死んじゃったんだろう。
なんで出てきてくれないんだろう。
休演してるならいい加減戻ってきてほしい。
今も、すごく寂しい。
愛嬌のある笑顔も、リズム感素晴らしい踊りも、たまにやりすぎちゃうおふざけも、先人から受け継いだものを残そうとする芸も、握手してもらった時のふっくらした手も、見得切る時に覗く引き締まったふくらはぎも←、娘道成寺も鏡獅子もお坊吉三も刺青奇偶も夏祭も髪結新三も実盛物語も弁天小僧も匂宮も塩谷判官も勘平もおとくも籠釣瓶も身替座禅も言い尽くせないけどあれもこれも、全部全部好きだったし、今でも大好きです。



もーーー勘三郎さんのばかーーーーーー!早いんだよばか!!
もーーーいつか向こう行ったら絶対文句言ってやる!!
それで豪華な顔合わせで芝居沢山やってもらうんだ!!!

あーーーーーーー
寂しいなぁ。。。